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2011年1月14日 (金)

男無し! おばさん版セックス・アンド・ザ・シティ『明日の私に着がえたら』

 
アメリカで大ヒットしたドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』は映画にもなり、
続編も作られ、話題沸騰でした。SATCと略され、日本でも女性に人気です。
わたしは映画だけ見ましたが、よくできています。

ニューヨークに住む(日本人から見ると)ゴージャスな女性4人が
ゴージャスなりに恋や仕事に悩み、苦しみ、でもどんな時にも、
妙にしっかりと女の友情で結ばれて、たいしたことない不幸を乗り越える…という、

ミもフタもない紹介でスミマセン。誉めてるんです。
庶民のわたしが見ても「ケッ」とならず、テンポの良い作りで、最後まで楽しめました。
タイトルに反して、素直で健全な価値観が貫かれているからです。

ヒットすると、似たようなモノが作られます。
女4人、ニューヨーク、友情ものです。
こちらはメグ・ライアンが主役なので、年齢が上の、おばさん版SATCと言えます。

『明日の私に着がえたら』


Images


 
メグ・ライアンは同い年ということもあって、気になる女優さんです。
コメディエンヌの立ち位置、不動です。
下着姿になってもいやらしさが皆無。綺麗なのに色気が無い。
さすがです。
メグ・ライアンはメグ・ライアンを貫いている。ブレません。

この映画、あまり期待せずに見たのですが、面白かったです。
もちろん、深みとか、厚みとか、そういうのじゃなくて、
いかにテンポよくタマを投げるか、そのタイミングが早すぎず、遅すぎず、心地よい。
スミズミにまで気を配る演出で、冴えてます。

もちろん、彼女等は恵まれた環境の中で苦境に立つわけで、
男と離婚しようが生活保護は要らないし、
ネイルサロンに通いながら、人生設計するわけです。

それを「ケッ」と思ったらもう、この映画は楽しめません。

ただ、この映画のしかけで面白いのは、ラスト近くで気付いたのですが、
男が全く映らないのです。映像に、ちらりとも出てきません。

男不在にこだわった、映画なのです。

もちろんこの映画はファンタジーではなくて、男は存在していて、
浮気をするし、ビジネスは男社会だし、その男達に一喜一憂させられるのですが、
巧妙に映像として映さないのです。

「女の脳内世界に、男は存在しない」という思い切った投げかけではないでしょうか?

ラストのラスト、例外的に映る男がいます。
それを男と言うならば、の話です。

うまい!

とはいっても、

メグ・ライアンの傑作といえば『恋人たちの予感』です。
この映画、わたしの中ではラブストーリーNo.1です。

最高のくされ縁ストーリー!

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シネマdeぶんぶん」カテゴリの記事

コメント

メグ・ライアン主演のラブコメに、もろはまった世代です( ̄▽ ̄)。
DVDの予告編で見て、
「(おそらく)おばさん丸出しのメグ・ライアンは見たくにゃい(。>0<。)」という理由から、
見たいDVDリストからはずしていました。

そうですか!あえて男を全く出さない映画って画期的かつ実験的!
「「女の脳内世界に、男は存在しない」という思い切った投げかけ」
わかるわかる!
「女」というのは、わたしのように恋愛マーケットから撤退した女・・・
つまり「おばさん」ですね?
男性には申し訳ないですが、
男性の存在を全く忘れてる瞬間(?)、結構ありますねえ。
その感覚が映像になっている!断然見たくなりました!

ところで『恋人たちの予感』は同感!
メグ・ライアン主演映画の中ではもちろん、
恋愛映画NO.1です。
名シーン、名セリフがたくさんあるし、構成も音楽も素敵で、
何度見てもあきません。
「わたしの恋愛観を決定づけた作品」
といっても過言ではないです。
そう・・・うちの夫婦は腐れ縁・・・。

映画はハッピーエンドですが、
現実はその後も続くんですよねえ・・・。
見た目はもちろん中身も、お互いハリーでもサリーでもなかった、
ということを忘れてました。
映画には魔力が潜んでいますね・・・
だからこそ恐ろしくもおもしろい・・・。

こころんさん!
そうそう!「恋人たちの予感」サイコー! いぇい!
あんなシャレた映画は滅多に無いし、細かいシーンがみな面白く、ダレず、
爆発も天災も難病も無いのに、ぐいぐい惹き付ける会話の力技。
あの映画、亜流が出てこないんですよね。真似できない微妙なシナリオです。

そうですか。影響受けてくされ縁婚なさったんですね。あれ?

「くされ縁婚」って、いいかも。
江角さんの「ひらめき婚」や聖子ちゃんの「ビビビ婚」より素敵です。
「腐れ怨恨」に変換ミスしないよう気をつけなくちゃだけど。

でもこころんさんって、独特ですからね。自覚ないかもしれませんが
際立った面白さを内在してるんで、その個性に旦那様はハマったんだと思います。

「明日の私に着がえたら」のメグ・ライアンは、残念ながら全く老化が見られません。
人の生き血でも吸っているのか、かわいらしいルックスです。
わたしは歳を聞かれると「メグ・ライアンと同じ歳」と言ったりするのですが、
嘘じゃないし、好印象だしで、しばらくこの言い逃れ使えそうです。
いや、でも、このメグを見たら、「うそつけ」って言われそう…


わたし、面白いですか?
JUNKOさんに「面白い」と思っていただいてたなんて、光栄です♪
え?でも内在ですか?ライター目指してる人が、内在してたらだめじゃないですか!
(・・・思い当たるところあります・・・人一倍小心者で照れ屋で、いろいろ小出しにしてるかも・・・)

ところで「腐れ怨恨」、噴き出しました。
JUNKOさんこそやっぱりおもしろい!発想の行く先が異次元だもの。

もとい!「くされ縁婚」(ひらがな、ポイントね♪)、いいですね!
JUNKOさんぜひ作品にしてください!
わたしには無理そう。「くされ縁婚」と聞くと、「恋人たち・・・」と、
昔のドラマ「10年愛」(ご存知かしら?)が、頭から離れないんです。

しつこく話を元に戻します。
ビバ!『恋人たちの予感』!
センターで勉強始めたころ、「ラストシーンが好きな作品は?」と聞かれ、
「『恋人たちの・・・』です」(カウントダウンパーティーのところね!)と言っても、
周囲は「へえー・・・」「ラスト、どんなだっけ?」という反応で、とても残念でした。
あんな傑作なのに、思い入れのある人が案外少ないんだなあ、と。
もちろん映画の好みは、人それぞれなんですけどね。
そんな思いがずっとあったので、今日はJUNKOさんが、
あの映画の良さをすごくよく分かってくださっているのを知って、
とてもうれしかったです♪

こころんさん
また見たくなりました。『恋人たちの予感』
たしかにあのラストは、じらしにじらされたこちらとしては、カタルシスですね。
やっと言ったー!って。長かったですから(完全にメグに肩入れ)。
好きなシーンはどこもかしこもなんですが、最初の、車の相乗りシーンも好きです。
あと、見事だと思ったのは、やっとこさ初めて寝てしまった、そのあとの男の表情(当惑)、
女の表情(はなやぎ)。ああ、永遠に男と女はこんなふうに、チガうんだなあって、
小さな絶望と、大きな納得をした、そんな思いがありました。
「10年愛」は知らないです。昔はテレビをあまり見なかったんです。ここ、ネックになっています。

こころんさんは好奇心がすごいです。だから本も映画もドラマもいっぱい吸収するし、
それを自分の感性で解釈できる。栄養をいっぱい内在しているので、うらやましいです。
だから話が面白いし、ライターとしても強みだと思いますよ。

こんにちは。いつもいろんなことを考える元気やヒントを下さってありがとうございます。

さて、ご紹介により、ありがたく、『恋人たちの予感』を期待を持って見ました。結果…メグ・ライアンは確かに可愛い。出会いのシーンも、しばらくのブランクの後に始まる「友達づきあい」もよし。

でも私の最大の違和感は、サリー、教育もあり、自立もし、衆人環境にある食堂でオーガズムの演技までやってのけるほど大胆で自信たっぷりな大人の女性である彼女が、なぜ最後までハリーの告白を待たなければならなかったか。どうしてサリーから愛を伝え、自分たちが互いに必要とし、必要とされていることを訴えられなかったのか。

そしてさらに、私が持ったこの肝心なところでの違和感がどうして他で語られていないのか。

と言ってもまあ、この映画が1930年代の原作であることを考えると、私の最初の疑問は難なく解決するわけでありますが。

でも、JUNKOさんはその点での決定的な違和感はありませんでしたか?すばらしい恋愛のストーリーでは、逆転して最後はやはり女性は受身ですか?

ちなみに私自身の現実世界でのアプローチは別の話としてhappy01、あくまでも映画のストーリー展開と確立されたキャラクターの役回りについての感想ですのであしからず…


KPさま
ご覧になってくださって、うれしいです。
『恋人たちの予感』はおすすめの逸品です。
ご指摘の違和感ですが、わたしにはありませんでした。
「告白を待っていた」とは思いませんでした。

あのベッドインのエピソードで、サリーとしては「恋人になった」「気持ちがひとつになった」と思い込んでいます。
それはサリーの朝の笑顔で表現されていますが、
なのにハリーは逃げ、後日「なかったことにしよう」と言ったため、
「恋人として拒絶された」とサリーは解釈します。レストランのシーンです。
顔、ひきつってましたよね。
サリーが落胆し、距離と置こうと思うのは、同性として理解できます。
その後のハリーの態度は「恋人にはなれないけど友だちでいようぜ」というもので、
サリーは「もう友だちには戻れない。顔も見たくない」です。
この映画のトップシーンからの命題「男女は友人になれるか」の逆転です。
サリーは若い頃「なれる」と言い、ハリーは「なれない」と言ってました。
ところがサリーは「なれない」と身をもって知ることとなるんです。

男の告白を「待っていた」のではなく、失恋しあきらめていたんだと思います。
寝たあとのあの態度、かなりキツかったんじゃないかなぁ。

これはわたしの解釈ですが、きっとKPさんのように違和感を持つ人もいるでしょう。
映画って、観る人の数だけ解釈がありますもんね。

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