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2011年2月 9日 (水)

ところにより害獣

 
あれはいつのことでしょう。
わたしは中学生だったかしら、よく覚えていません。
学校から帰ると、自宅の玄関前になにやら車が停まっていて、作業服の人が2人、
段ボールと格闘しています。段ボールは動いていました。
中からぎゃおぎゃお叫び声が聞こえて、作業服の人の手は血まみれでした。

あとから聞いたのですが、保健所の人でした。
二階のわたしの部屋の押し入れで、野良猫が子どもを産み、
母が保健所へ電話して相談したところ、引き取りに来たそうです。
猫は抵抗して、捕獲した作業員が負傷したということです。

わたしには前後の記憶がありません。
そういう事実があった、という記憶しかありません。

振り返ると、わたしの成長過程において、猫という動物とは
悲しい記憶しかありません。
なぜならわがやの、というか、両親にとって、猫は「害獣」でしかありません。
わたしはそんな家庭で育ちました。

 
もっと小さい頃は、団地に住んでいました。
あるとき小さな黒猫がやってきて、団地の子どもたちみんなでこっそり飼いました。
敷地のすみに段ボールを置いて、みんなで餌をやりました。
わたしは3歳だか4歳だか一番年少で、一度も抱かせてもらえませんでした。
もうひとり、遠くで見ている少年がいました。彼は小学生くらいでしたが
なにか障害があるということで、みなと一緒に遊ぶことはありませんでした。

あるとき、猫はツツジの木の根元で冷たくなっていました。
首にヒモが巻き付いていました。
誰かが猫を独占したくて、首にひもを付けて、木の根元にくくりつけておいたようです。
猫は動こうとしてからまって、命を落としました。
猫の体にはうじゃうじゃと虫がたかっており、誰も近づけませんでした。
それまで遠くで見ていた少年が、猫にからまったヒモをほどき、
固くなった猫を抱いて、どこかへ持ち去りました。
青い顔で、誰よりも悲しんでいる様子でした。彼がやったのだと察したけど、
彼の失敗を誰も責めませんでした。

小学生時代、わたしは地方を転々とする官舎暮らしで、
小鳥や金魚以外、動物を飼うことは許されませんでした。
父も母も潔癖性で、二間しかない小さな官舎はいつもきれいに掃除がゆきとどき、
柱にきずひとつありません。
お国のものだから、大切にお借りしなければならない。
釘一本、打ってはいけない。
そんな信念に満ちている家庭でした。

雨の日の夜、猫の鳴き声がして、外を覗こうとすると母に止められました。
「一度でもえさをやると猫は居つくから。
猫はふすまを破くし、柱を傷つけるし、死んだねずみを運んでくるの」
母はぞっとしたように肩をすくめて幼いわたしにこんこんと言い聞かせます。
そう、我が家にとって猫は害獣なんです。

ある日わたしは友人の家に遊びに行きました。
少し傾き加減のほったて小屋のような家でした。
玄関の木戸の一部が四角く削られていました。
友人は自慢げに指を差し、「猫の出入り口」と言いました。
カルチャーショックでした。
このうちは、猫のために玄関のドアをカットするのです。
当時のわたしにとり、ごきぶりのベッドを作るような感覚です。

家に入ると、電球のヒモが下までぶらさがっており、先にボールが付けてあります。
家の中に猫がいます。たぶんキジトラです。
友人がボールをゆらすと、猫がじゃれて遊んでいます。
畳がささくれだち、柱はぼろぼろで、猫が遊び、友人が笑っています。

まるで遊園地。

胸につきささる衝撃でした。
世界が広がるような柔軟さと、愉快、豊かさを感じ、
今、そのときの気持ちを大人の言葉で置き換えると
その空間に「健全さ」を感じたのです。

うらやましいけど、わたしの生まれは違います。
愉快じゃないけど、両親は両親なりによかれと思ったやり方で
わたしを育てているのです。
わたしはその日も消毒臭い清潔で不健全な家に戻り、
その後もずっとその家の価値観を受け入れて育ってゆきました。
「猫を飼いたい」とか「犬を飼って」などと言ったことはありません。
それは「家の屋根をはずさない?」くらいの無茶なんです。わがやにとって。

高校3年の春に、わたしは不登校になりました。
友人の病気をきっかけに、生とか死とか、善とか悪とか考え込んでしまい、
思考が迷宮に入り込み、生きるのがしんどくなってしまったのです。
生命力の欠落です。

ある日、よく晴れた日に、二階の自分の部屋のベランダに出てみました。
まぶしい光を感じます。おひさまが元気です。
ベランダの下の、一階の屋根の上に小さな子猫がへばりついていました。
白っぽい猫で、三毛じゃないかと思います。
じっとしています。落ちないでしょうか?
わたしはかぶとむしやアゲハチョウを見つけたような、儲けたような気持ちで、
ベランダから子猫を見ていました。
もちろん、親に言ってはいけません。
保健所のあの一件はもう、ごめんです。

すると声が聞こえました。「つかまえましょうか?」

隣の家のベランダに少年がいて、こちらを見ています。
中学生か、小学生かわかりませんが、年下です。
会うのも口をきくのも初めてです。

「ぼく、できますよ」

そう言って少年はベランダの柵を越え、屋根から屋根へひらりと跳んできました。
歌舞伎の血筋のような、黒髪の美しい少年でした。
少年は白い猫を抱き、わたしの胸にそっと渡しました。
わたしはなんの意志もなく、いつのまにか猫を抱いていました。
猫を抱くのは生まれて初めてでした。

少年はひらりと跳んで、自分の家に戻りました。

不思議なことですが、記憶がそれしかないんです。
思い出そうとしても、なんにもないんです。
親に言わなかった。しばらく部屋で抱いていた。それしか覚えていません。
おそらく、猫が自分で出て行ったのだと思います。
親猫がむかえに来たのかもしれません。

それから数ヶ月後、わたしは高校へ戻ることができ、お隣は引っ越しました。

母がおかしそうに言うのです。
「おとなり、男の子がいたんだけど、綺麗なお姉さんって、
あんたのこと言ってたらしいよ」

わたしが少年と顔を合わせたのは一度だけです。
わたしもあのとき少年を「きれいな子」と思いました。
そして猫も「きれいな猫」に見えました。

まだあたたかさがうれしい初夏の出来事でした。
すべてを美しく見せるおひさまの力を借りて、
わたしにとって唯一、猫とのあたたかい思い出ができました。


そんなわたしはすっかりおばさんになり、娘が猫を拾ったと聞くや、
「捨てておきなさい」とヒステリックに叫ぶ女と成り果てました。
わたしに「捨て置け」と言われた猫は、わがやにのうのうと、もう7年暮らしています。

自分から手をさしのべることができず、胸に渡されてやっと、抱く事ができる。
わたしはそういうやつなんです。
人間ってちっとも成長しないものですね。


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猫てきぶんぶん」カテゴリの記事

コメント

少し悲しくて透明な、素敵なお話・・・。
JUNKOさんの実体験ということですが、
屋根の上の出来事は、白昼夢のようで、
短編小説を読んでいるように堪能しました♪
ご自分の話は小説にはされない主義かもしれませんが、
短編小説にしていただいて、多くの人が読めるといいのになあ・・・
と勝手に思ってしまいました。

注)その時は、タイトルは変えてください!
(って、しゃれです。すみません)
ブログならばこのタイトル、サイコーです!
ほんといつも感じるのですが、
JUNKOさんってネーミングやタイトルつけるセンスも、抜群ですよね!

こころんさん
お誉めいただき、うれしいです。さっそく調子にのってみました。
小説家になったあかつきには(いつだ?)、短編集に入れたいと思います(いつだってば)。
春樹氏をぬいてノーベル文学賞をいただいたあかつきには
その短編を原作に映画が制作され、アカデミー賞外国語部門賞にノミネート、
赤いカーペットでうろちょろした挙げ句、マット・ディモンにサインをねだる。
という流れのためにも、英会話を習得。ではなく、タイトルは大事ですね。
ゆっくり考えます。
いやその前に、まずは小説にしないとですよね。
実際にすごく綺麗なシーンでした。記憶の中だけではもったいないです。

誰が読んでも〜作り物?小説的と思うと思う!コメントしずらいよね〜?本当の話だと〜
もっともっと猫がどこかに?でも?抱いていた猫がこつ然と居なくなる?夢ですか?
またまた夢のお話ですか?

michiさま
夢でも小説でもありません。実際にあったことですが、
遠い記憶なので、記憶がきれぎれなんです。
ツクリモノでしたら、もっとツジツマを合わせます。
実家のわたしの部屋は、猫以外にも、
大蛇が侵入したり、いろいろありました。
蛇はものすごい太さで、わたしの手首よりはるかに太かったです。

JUNKOさんはマット・デイモン、本当にお好きなんですね( ^ω^ )

マットさん、すっかり演技派大物俳優さんになりましたね!
(何で上から目線?・・・グッドウィルから見てるので、近所のおばさんのような気持ということで・・・)
賢明だから、しっかり作品も選んでそう。
ボーンシリーズは、アクションではめずらしく全部見ています。かっこいい!
『グッド・ウィル・・・』は、新たなスター発見に興奮しました。再度見たい映画。
『インビクタス』でも正義感ある副主人公を危なげなく演じてました。
リメイクですが『リプリー』もなかなか良かったし、
B級(?)コメディーの『ふたりにクギづけ』も最高!
(結合性双生児の一方をやってます。
微妙な設定を映画にしちゃうとこが、すごくアメリカ的映画)

一方で『オーシャンズ』シリーズはお遊びというかお付き合いですね。
きっと現場が楽しいのでしょう。
『ブラザーズグリム』もヒース・レジャーと共演という超豪華キャストにもかかわらず、
なんだかまとまりない映画になってました。

これから公開される『ヒア・アフター』は、
またイーストウッドとタッグを組んでいるので、期待しています。

ところで突然話は飛びます!(・・・というか、戻ります)悪しからず!
わたしがアカデミー賞に列席するあかつきには
(経緯省略!)
ダニエル・クレイグを追っかけます。

こころんさん
しぶいですね〜。ダニエル・クレイグですか。
ダニエルさんは魅力的だけどタイプじゃないので、よーし、おゆずりします。
あげます(なにさま?)
ふたりで手分けしてマットとダニエルを人ごみから見つけましょう(経緯省略)。

わたしも同じ、アクション苦手なのに『ボーン…』は全部見てます。
もうもう、ストーリー要らん!くらい、設定が良くてかっちょいい!
『グッドウィル…』からのファンなのですが、どれもいいけど、
『グッドウィル』を越えるものは(わたしの中で)ないんです。
なんども見てます。気分を良くしたい時は『グッドウィル』です。

『インビクタス』はいつもツタヤで気になりつつ、スポーツ系なのでちょっと気が引けています。
『ふたりにクギづけ』は知らなかった。探してみます。
スレスレな設定ですね〜〜〜

『インフォーマント!』という事実を基にした妙なB級映画があって、
いやなやつなのに魅力的で、これは彼の独り舞台でした。
そうそう、新作のイーストウッド作品は今から楽しみです!

こころんさんへ(追加)
オーシャンズシリーズは全くのれなくて、1しか見ていません。
やっぱオールスターって駄目ですよね。相殺しちゃう。

「猫は抱くもの」を読み終えたばかりで、この短編(と呼ばせてください)を読んで、また新しく涙がこぼれてしまいました。ベランダに溢れる日差しや風や日向の子猫の匂いがしました。それぞれの情景がドラマのワンシーンのようです。
「猫弁」シリーズはほんとうに面白かったです。百瀬太郎のような優しいヒーローに初めて出会いました。その他のすべての登場人物もそれぞれに生き生きとしていて、それぞれの人生の主人公なんだと感じました。みんなが幸せになって欲しいと、何度も泣いて何度も笑いました。こんなに癒やされる思いに満たされる小説は希有だと思います。

この短編を読んで改めて感じたことですが、大山さんの作品は、ものごころついた子どもが、はじめて世界を眺めるような。或いはまだものを知らない猫が、人間という隣人を興味深く見守るような。そこには、なんの思惑も疑いもなく、根拠もなく善いと信じた人間の営みを不思議そうに眺めている清らかな眼差しを感じます。そんな大山さんの描く人間はどこかお茶目で、猫は切ないです。

いつも新作を心待ちにしております。どうぞお体を大切になさってください。

私も昔の先生に会いに来ました。猫との思い出、切ないですね、作品にもこの切なさが入り込んでいるのかな。幼稚園の頃を思い出しました、最初に飼った猫は、いとこが拾ってきた猫の一匹で、全部で3匹だったのですが、その他の2匹は、当時通っていた幼稚園門のところで、家族で訴えて飼主を探しました、めでたく皆、もらわれて行きましたが、その後の消息は判りません、幸せな猫生をまっとうしてくれていればいいいけれど。ウチに来た子は何故に選んだかというと、いとこの家に居た3匹に会いに行った時、叔母が「○○ちゃんが来たから、いつも早くに眠る三毛が起きてるわ。」と言ったことでした。ああ、私の為に眠いのに、起きていてくれたんだ!と勝手に思いました。今になれば、何てこと無いことなんですけど、これも一つの縁ですよね、と思ってます。それからは、もう猫の虜、こんなに愛らしいものはない。好きな気持ちは増すことはあっても、嫌いには決してならない、やっぱり家族だなぁと思います。

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