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2011年11月22日 (火)

サヨナラのあと

本日、ゲラを送付しました。
マンションの管理室が宅配の受付業務を代行してくれます。
自分でやりたくて伝票を貼付けるまでやらせてもらい、管理人さんに渡したあと、
胸が痛くて痛くて、辛いです。

今、仕事はほとんどがデータのやりとりですが
出版物はゲラのやりとりがあり、
作品を「郵送」することになります。
本日で終わりではなく、やりとりは今後も続きます。

以前はコンクールのために、こうして作品を郵送しました。
作品を郵送するときに必ず起こる現象なのですが、
胸がきゅーっと痛み、ぞっとするような不安感が押し寄せ、
体がふわふわします。泣くこともあります。

「送る」ということは「いったん終止符を打つ」ということで、
自分の中でひとまず決着をつけたことになります。
さんざん葛藤した末に決着をつけるのですが、
いざ「送る」となって、作品とサヨナラすると、

果たしてこれでよかったのか?
まだできることがあったんじゃないか?

どどっと不安が押し寄せます。
いつもそうなんです。

締め切りに間に合った!とか、書けた!と
スッキリしたことなど、一度もありません。


いなもと「おばさん、もういい加減にしなよ。それ以上は良くならんよ」

Ina1


わたしはシナリオを勉強し始めて早いうちに賞をとり始め、
いくつか続けて受賞したこともあって、
よく人に「運がいい」とか「出せばとる」などと言われたりしましたが、
そんなことはありません。
わたしにもし人より何かがあるのだとしたら、
それは「運」でも「才能」でもなく、
「必死さ」ではないかと思います。

創作しているとき、その作品に向かう必死さは
「もうこれ以上ひとしぼりも汗をかけない」くらいのものです。
毎回「これ以上は無理だ」と感じるまで作品と向き合います。

構成、人物造形、セリフ…
小説の場合はその上に描写のひとつひとつ、ひらがなか漢字かに到るまで
悩み、直し、間違え、戻り、直します。
正解に近づいているかはわかりません。
正解などないんだと思います。

いくらがんばっても、翌日見直すと、必ず穴を見つけます。
そうして毎日毎日向き合って、直して、直して、あ、そうそう、
城戸賞のときは最後に「読み直すと吐き気がする」という状態になり、
提出した覚えがあります。

創作するひとなら誰もがこれくらい必死なのかもしれません。
有名無名、プロアマは関係ないと思います。
わたしは自分の限界までがんばります。
でもその「限界」の認識も甘く、まだ先に「限界」があるんじゃないかと疑い、
郵送したあとに、不安が押し寄せるのです。

人の「送った!」という喜びの声を耳にすると
わたしが送ったあとに感じる寂しさ、悲しさは、
わたし特有のものなのかなぁと思ったりもします。
まだ未熟だから、不安なのかもしれません。
こういうの、いつかはなくなるのかしらん。

本日はこれ以上不安にならないように、
次の仕事にかかろうと思います。


これは読者のまあくんからいただいた画像で、仙台を飛び回るスヌーピーJ号だそうです。
飛行船を真下から見る機会なんてないので、面白い。

Hikousenn

ちなみにまあくんと馴れ馴れしく呼んでますが面識がないのにすみません。
「まあ」というネームに「さん」を付けると、なんかこう、
空気が抜けたっぽくなるので、くん付けで失礼致します。

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コメント

毎回思うのですが?いなもと?上から目線が多いですね〜一番偉いと思っているのかな?

michiさま
いなもとは上から目線です。
たぶん、わたしの年齢を越えたんだと思います。
猫は一生が人間より短いですからね。

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