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2011年11月11日 (金)

モノサシをミタ。

東京は大雨です。

ほんじつ、またいっこ、いいことがありました。

5歳の時にであったモモちゃんに、再会できました。
雨の中、モモちゃんはプーを連れてわがやにやってきてくれました。

ふと、思いました。

つらいことって、いいことをより豊かに感じるために
あるんじゃないかなぁって。

なんにもない人生より、つらいことでも
あったほうがいいのかなぁ。

5歳のわたしは思っていました。
おとなになると、もっと世の中がわかると。
でも違っていました。どんどんわからなくなります。

だいじなのは自分のモノサシを持つことで、
自分のだから、もちろん不安だし、悩んだり、間違ったりもするけど、
でもやはり、自分のモノサシはなくちゃだめだし、
相手にもそれを望みます。
世間のモノサシではなくて、自分のモノサシを持っているひとと
モノサシを出し合って、比べ合って、話し合って、わかりあって、
生きていきたいなぁと思います。

全然話は変わりますが、今、忙しくてあまりドラマを見ていません。
一週間で1番楽しみにしているのは

『専業主婦探偵』で、今夜です。

ちまたでは『家政婦のミタ』が高視聴率らしいですね。
わたしは初回で脱落しましたが、
ああいう感じが今求められているのかなぁ。
ふしぎだなぁ。
負荷をかけ、かけ、かけ、取り払う。のパタン。
そういうの、見たいんだ。
なるほど。世間のモノサシをミタ。

わたしは『専業主婦探偵』が好きです。
わたしのモノサシで言いますと、はなまるです。

今日はもうあとずーっとがんばって創作し、創作し、創作し、
夜は『専業主婦探偵』を見て『ちいさいモモちゃん』を読んで
寝ます。いい夢見るぞう。

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ぶんぶん的日常」カテゴリの記事

コメント

通りがかったお寺の掲示板に
「私のものさしで問うのではない。私のものさしを問うのである」
と書かれてありました。
自分の狭い価値観に囚われず、まず自分の価値観そのものが、それでいいのかを問いなさい、
と解釈しました。いい言葉だなと思います。

でも、自分は、あえて、
「私をものさしで問うのではない。私のものさしで問うのである」
って言ってみたい。
世間の価値観に迎合せず、自分の価値観をしっかり信じて、世の中を計りたいです。

ものさしですか?自分のものさしすら?ものさしを必要としてない様な?
相手から,どう見られてもどう解釈されても,全く関係が無いと思えて来ている毎日なんだな?
駄目なのかな?もっと相手と本気でものさしで問う人生じゃない駄目なのかな?
でも無理です!これもまた人生かな?(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ

1868さま
そのお寺のおことばも、ぐるっと一周まわって
同じ事を言っているのかもしれませんね。
疑って、考えて、ひとつひとつ選んでゆく。
自分の目で見る。
そういう人生でありたいです。
創作は自分のものさしでしかできませんしね。

michiさま
人生はひとそれぞれですよね。
わたしは幼い頃から、ものさしを持つことを夢見ていました。
解釈や指針みたいなものです。
おとなになれば自然に持てるものだと思っていましたが
既成のものさしは、わたしには合わず、
自分のものさしを持ちたいと思うようになりました。

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