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2016年4月29日 (金)

ABCウィーク

いよいよゴールデンウィークの始まり始まり。

みなさんはどんな計画をたてていますか?
わたしは以下の3つを計画。
 
A 書きかけの短編をラストまで書く。
B 体を休める。
C 映画(ツタヤレンタル)を1〜2本楽しむ。
 
Bだけできちゃったりして。
 
さて先日、録画予約をしようとしてテレビをつけたら
たまたま目に入った番組で、ある仮説が提示されていました。
 
「音楽の父と呼ばれるバッハの作品は
そのいくつかは弟子(女性)が作ったもの」
 
その仮説のもとに調査を進めてゆくドキュメンタリーでした。
夜中で眠かったし、最後まで見なかったのですけど、
ふと、学生の頃に読んだ芥川龍之介の散文(評論?)を思い出しました。
 
「僕が書いた作品は僕が生まれなかったとしても
誰かがきっと書いただろうと思うと、なんだかがっかりする」
だいたいそんな文章だったと思います。
記憶があいまいなので、違うかもしれないけど、
当時のわたしはそんなふうに読み取りました。
 
作品は個人の偉業ではなく、時代に書かされるものと
芥川先生は言いたかったのでしょうか。
拡大解釈すれば、傑作は生まれるべくして生まれるという、
必然みたいなことを言いたかったのかもしれません。
タイムスリップして芥川先生にお聞きしたいなあ。
 
 

バッハの作品はバッハがいなくても生まれたのでしょうか。

その曲が世に出るためには、当時は女性名ではダメで、
バッハの名前が必要だったのかもしれません。
弟子が書いて先生がしあげるというやり方は
脚本の世界ではよく聞きますが、
わたしはそういう現場を見たことがないので
現代ではないのかもしれません。
 
わたしが書いたものをわたしの名前で出せる。
これって当たり前のようで、幸せなことなのかも。
 

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コメント

A、たのしみにしています!読めるのはいつでしょうか?

芥川流でいくと、
どこかにあるものを、掘り出すのが創作という仕事なんでしょうか?
それにしたって、ただならぬ才能が必要ですね。
漱石の『夢十夜』の仁王のごとく、誰にだってできるわけではなく…

わたしは、仕事では、なるべく名前なんて忘れられていたいです。
溶媒抽出の油ができあがったとき、溶媒の薬剤が残っていたらまずい感じで、
名前がでてくるときには、大体、失敗なので…(って、変なたとえですが)

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